水戸地方裁判所竜ケ崎支部 昭和47年(ワ)46号 判決 1974年5月17日
主文
被告らは連帯して原告に対し金八七四、九〇七円およびこれに対する昭和四七年一〇月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを三分し、その一を被告らの、その余を原告の各負担とする。
この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮りに執行することができる。
事実
第一請求の趣旨
被告らは連帯して原告に対し金二、五〇九、八六七円およびこれに対する昭和四七年一〇月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの連帯負担とする。
との判決並びに仮執行の宣言を求める。
第二請求の趣旨に対する答弁
原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。
第三請求の原因
一 事故
昭和四六年六月二二日午前七時五五分ころ、茨城県稲敷郡江戸崎町江戸崎甲四五八先路上において、原告は普通乗用車(習志野な四六三九号、以下、原告車という。)を運転し進行していたが訴外桑田正方に所用のため右折の合図をし徐行しながら右折を開始したところ、被告神谷修一は同神崎卓の娘を学校に送るため普通貨物自動車ライトバン(茨四四さ八八〇三号、以下、被告車という。)を運転し時速約七〇キロメートルぐらいの速度で原告車の後方から進行してきたが、被告神谷としては前方を注視し原告車が右折の合図をしているのであるから一時停止しあるいは徐行するなどの措置を講じ事故を未然に防止しなければならない業務上の注意義務があるのに、これを怠り、漫然、前記速度のまま原告車の右側を追越そうとした過失により、自車の左前部を原告車の右ドアー付近に衝突させ、原告に頸部捻挫の傷害を負わせたものである。
二 責任
被告神崎は被告車を保有し自己の遂行の用に供しており、自賠法第三条により、被告神谷は前記運行上の過失によつて本件事故を惹起したもので、民法第七〇九条により、それぞれ原告に対し損害賠償の責任がある。
三 損害
(1) 傷害の部位
本件事故により、原告は前記のとおり頸部捻挫の傷害を負い、後頭部痛を併発し、全身隋怠、食欲不振、頭重感、嘔気、睡眠障害等の症状を呈しており、毎日が苦痛の連続である。更に、歯のが破折し、は外傷性歯根膜炎を併発し、は抜歯し義歯を装着する等の傷害を受けた。
(2) 治療費 金四九一、八六七円
内訳、虎の門病院金二〇、五六六円、根本医院金四二、九一五円、木内医院金一七、一七〇円、山崎歯科医院金一二、六七〇円、三井記念病院金二一八、〇四〇円、宮本歯科医院金八、六九〇円、東京医科歯科大病院金八三、九三六円、立川病院金一一、九七〇円、村上整骨院金七、八〇〇円、石島胃腸病院金四、七六〇円、矢野整形外科医院金二、八五〇円、皆川漢方治療院金一八、五〇〇円、運転者(訴外松本登)日当金四二、〇〇〇円。被告らは本件事故について原告の治療費の支払を全然しない。
(3) 逸失利益 金五〇〇、〇〇〇円
原告は本件事故当時桜川村々会議員(昭和三八年八月から二期間)で副議長を勤めており、次回は村会議長としての要職につく予定であつたが、本件事故により議員としての職務に耐えられず退職せざるを得なくなつた。又、その後の村会議員選挙にも立候補を断念せざるを得なかつた。よつて、議員としての収入一カ月金三一、〇〇〇円として一期分四年間計金一、四九八、〇〇〇円相当の得べかりし利益を失つたので、右のうち金五〇〇、〇〇〇円の支払を求める。
(4) 慰藉料 金一、五〇〇、〇〇〇円
被告神崎は江戸崎町において霞ケ浦中央病院を経営する医師であるが、原告は本件事故により前記傷害を蒙つた外霞ケ浦開発工業株式会社外二社の代表取締役として充分に仕事が出来なくなり、いずれも赤字経営となり特に前記霞ケ浦開発工業は倒産して整理せざるを得なくなり、その財産的損失は莫大なものである。その肉体的精神的苦痛に基く慰藉料として金一、五〇〇、〇〇〇円が相当である。
四 よつて、原告は被告らに対し右(2)ないし(4)の合計金二、五〇九、八六七円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日たる昭和四七年一〇月一日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため、本訴請求に及んだ。
五 被告らの主張事実はこれを否認する。
第四請求原因に対する答弁並びに被告らの主張
一 原告主張事実中、事故の発生と被告神崎が被告車の保有者であつて、自己の遂行の用に供していたこと、同被告が原告主張の病院を経営する医師であること、被告神谷が被告神崎の長女を学校へ送る途中に本件事故が生じたことは認める。被告神崎の過失は否認する。歯の傷害については本件事故との因果関係を争う。逸失利益について、議員の退職立候補断念があつたとしても因果関係がない、従つて、この収入を前提とするのは失当である。なお、公選による公務員の場合当選するかどうかは不確定の事柄に属する。又、慰藉料について、会社の倒産整理も本件事故とは因果関係はない。その額は過大である。その余の事実は否認する。
二 被告らの主張
(イ) 被告神谷は時速五〇ないし五五キロメートルぐらいで本件道路を走行していたころ、原告は前方のY字路を右方から本件道路に進行し右折して被告神谷の前方の道路左側を走行した。原告は右折のとき右フラツシヤーをつけていたが、これは、事故現場まで、約八五メートルの間点灯されたままであつた。被告神谷は原告がフラツシヤーの復元を怠つたものと思い、かつ、引き続き、道路の左側を走行していたので、原告が右折するとは予想しなかつた。そこで被告神谷は追越しをはじめた。ところが、被告車と原告車との距離が一〇メートルぐらいになつた時原告は突如左折を開始したので、被告神谷は避譲のためハンドルを右に切り急ブレーキをかけたがスリツプしたまま、原告車と接触してしまつたものである。原告車の右折は道路外の右側にある訴外桑田正方の車庫(当時ビニール屋根の簡単な車庫があつたが、現在は空地)に這入ろうとしたものであるがかような場合、原告は道路外に出る場合の方法が不適当であつた(道交法第二五条)ばかりでなく違法(同条の二)であるから、本件事故は原告の一方的過失に基くものである。原告は、あらかじめ、その前から、できるかぎり道路の中央に寄るべきであつたのに、道路左側を引き続き走行しており、徐行すべきであつたのに、徐行をしていない。原告の横断の方法は被告車の進行を妨害するものであり、原告は道路を横断してはならなかつたものである。
(ロ) 自賠法第三条但書の主張
被告らは、叙上のとおり、被告車の進行に関し注意を怠らなかつたもので、原告に過失があり、かつ、被告車には構造上の欠陥または機能の障害はなかつた。
(ハ) 仮りに、原告の一方的過失が認められないとしても、本件事故は、被告神谷の過失のみならず原告の過失が競合して惹起されたものであるから、過失相殺を主張する。
第五証拠〔略〕
理由
原告主張の日時場所において原告主張のような事故が発生したことは当事者間に争いない。
ところで、被告は右事故は原告の一方的過失により発生したものである旨主張して争うのでこの点について先ず判断する。
〔証拠略〕を総合すると、原告は昭和四六年六月二二日午前七時五五分ごろ稲敷郡江戸崎町江戸崎甲四五八先道路上を原告車を運転し知人たる訴外桑田正方に向い進行していたこと、被告神谷は時速五〇ないし五五キロメートルぐらいで被告車を運転し前記道路を走行していたところ、原告車がその前方をY字路の吹上の坂を右方から進入し右折し道路左側に沿うて走行して行つたので被告車はその後方を追ずいして走行するような格好になつたこと、原告は前記右折のとき右のウインカーを点灯したが右折終了後一旦切断しており、間もなく、再度右折する合図のウインカーが点灯され、この事実を被告神谷において認識しており、さらに、原告は道路を右折するに際し一旦徐行したが直ちにそのまま右折を開始したこと、被告神谷は前記原告車の状態を知りながら漫然追越しをかけ原告車の右側に出たため至近距離において原告車の右折を発見しこれを避けんとして急制動の措置をとつたが及ばず遂にその左前部を原告車の右ドア付近に衝突したこと、被告神谷は昭和四六年一二月一七日略式手続の告知を受け業務上過失傷害罪により罰金四〇、〇〇〇円に処せられたこと、以上の事実を認めることができる。〔証拠略〕の一部結果は信用できない。他に、これを左右するに足る証拠はない。とすると、被告神谷の過失があることは明らかであるから、被告の自賠法第三条但書の主張は採用できない。
ところで、被告らは、本件事故は被告神谷の過失による許りでなく、原告にも過失がある旨主張し、〔証拠略〕によると、原告にもまた後方を注意すれば、当然、被告車の進行してくることを知り得たであろうし、その場合、一旦、停止又は徐行して事故の発生を未然に防止すべきに拘らず、これを怠り、漫然、右折を開始した過失があること明らかであつて、この過失の割合は、被告神谷七対原告三といわなければならない。
次に、原告の受傷並びにその治療について、判断する。証人隈本孝環の証言によれば、医師隈本郁郎(同証人の弟)が原告を診断したこと、そして、〔証拠略〕を実際に記載したことが明らかであり、〔証拠略〕によれば、本件事故後、隈本医院々長の弟が第二国立病院外科におり知り合いであつたから治療に行つた旨の供述に照応し、その結果文書の内容につき〔証拠略〕により、原告が本件事故により頸部捻挫の傷害を負つたことが認められる。他に、右認定を動かすに足る証拠はない。〔証拠略〕により、原告が右傷害を治療するため、千葉県我孫子市所在の隈本病院に通院し、昭和四六年六月二四日、同年七月一日、三日、五日、一五日、同年八月三日、一四日、同年九月一日、二二日、同年一〇月五日、一六日、二九日の計一二回治療したことが認められる。〔証拠略〕によれば、原告は本件事故により歯のが破折し、は外傷性歯根膜炎を併発し、2は抜歯し義歯を装着する等の傷害を負い、山崎歯科医院において、昭和四六年七月一二日に診察を受け、翌一三日、同年八月一一日、一二日、一三日、同年九月一日、七日、一七日、二四日とそれぞれ通院治療したことが認められる。更に、原告は、右傷害治療の結果が思わしくないとして、茨城県稲敷郡美浦村大字大山所在の東京医科歯科大学医学部附属病院霞ケ浦分院において分院長医師大貫稔の診察を受け、検査を主として治療もかね、昭和四七年六月二八日から同年七月一二日まで入院し、その時点で、自律神経不安定症脊髄過敏症、頭痛等の病状を呈していたことは、〔証拠略〕によりこれを認めることができる。その外、原告は、右傷害治療のため虎の門病院、木内病院、三井記念病院、宮本歯科病院、東京医科歯科大学医学部附属病院、立川病院、石島胃腸病院、矢野整形外科医院、村上整骨院、皆川漢方治療院において通院加療を続けていることは〔証拠略〕により認められる。そうだとすると、原告は昭和四六年六月二二日本件事故により身体に傷害を受け爾来その治療を続けてきたものであること明らかであるから、その傷害の程度が、原告の主訴と同様のものかどうかは、しばらく措き、以上の諸治療は、右事故の結果、必要になつたものと認めざるを得ない。右認定を動かすに足る証拠はない。然らば、〔証拠略〕によれば、原告が治療費として右各病院等に合計金四四九、八六七円を支払つたことが認められ、以上は前記のとおりいずれも治療のためこれを要したものというべく、他に、これを覆すに足る証拠はない(なお、運転者訴外松本登の日当金四二、〇〇〇円を支出した点については、これを認めるに足る証拠はない。)。
次に、逸失利益について、判断する。
原告は、本件事故の当時、桜川村々会議員として副議長を勤めていたが、事故により受けた傷害のため議員としての職務に耐えられず遂に退職しその後の選挙にも立候補を断念せざるを得なかつたので、議員としての収入一カ月金三一、〇〇〇円の一期分四年間計金一、四九八、〇〇〇円相当の得べかりし利益を失つたとして内金五〇〇、〇〇〇円の請求をしているが、原告の全立証によるも、議員の退職が本件事故の結果惹起されたものであるとは認め難く、又、再度の立候補を断念したとしても、それは選挙にかかり、当然当選することを前提とすることはできないものであつて、右のような請求は、到底、採用することはできない。
最後に、原告は本件事故に基く慰藉料として金一、五〇〇、〇〇〇円の請求をなしているか、本件事故の態様、その傷害の程度、その他、諸般の事情を考慮するときは、その金額は金八〇〇、〇〇〇円をもつて相当と認める。
以上の次第であるから、原告は治療代金四四九、八六七円を出損して同額の損害を蒙つており、更に、これに慰藉料金八〇〇、〇〇〇円を加えると合計金一、二四九、八六七円となるところ、前記のとおり、過失相殺により、右の七割に当る金八七四、九〇七円(円未満四捨五入)につき、被告神谷は民法第七〇九条により、被告神崎は被告車の運行供用者であること争いない事実であるから自賠法第三条により、それぞれ右の損害を賠償する責任があるので、被告らは連帯して原告に対し金八七四、九〇七円並びにこれに対する本件記録上訴状送達の日の翌日たること明らかな昭和四七年一〇月一日から完済まで年五分の割合による遅延損害金を支払わなければならないことになる。よつて、原告の請求中右の限度で、七の請求は理由があるから正当としてこれを認容するが、その余は失当として棄却するの外はない。訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九三条を、仮執行の宣言については同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 玉値久弥)